日本文化というバックグラウンドを持った自分は何ができるのか、と考えることが大事
日本のリーダーが語る世界競争力のある人材とは?
山下 真理氏 国連広報センター(UNIC)所長 × 大芝 亮 一橋大学理事・副学長
国際連合事務局の職員として22年間、国際政治の舞台で活躍し続け、現在は日本で国連広報センター(UNIC)の所長を務めている山下真理氏。
日本人は今、自信を失い内向き志向になっているといわれるが、国際社会から日本はどのように見られているのか、また日本人には何が求められているのかを伺った。
その話の中身に、国際社会で活躍する日本人像のヒントがあふれている。
日本文化というバックグラウンドを持った自分は
何ができるのか、と考えることが大事
国際的な家庭環境で国連に憧れ
大芝
一橋大学では、グローバル社会で活躍できる人材を育成したいと考えてさまざまな施策に取り組んでいるところです。そこで本日は、国際連合(国連)というまさにグローバルな組織で活躍しておられる山下さんに、ぜひお話を伺いたいと思いお時間をいただきました。まず、国連に入られた動機からお聞かせください。
山下
私の母はフィンランド人で、日本人の父は外交官をしておりました。ドイツとインドで長らく海外生活を送るという国際的な家庭環境にあったのです。そのようななかで自然と国際的な仕事に興味を持つようになり、ボンベイ(現・ムンバイ)にいた高校1年生のときに漠然と国連で働きたいと考えるようになりました。
大芝
その後、上智大学に進んだのですね。
山下
はい。日本の大学に行きたいと考えまして、高校2年生になったときに帰国子女だけを受け入れる東京学芸大学附属高等学校大泉校舎に転校したのです。
そして、大学選びを始めたとき、上智大学法学部に国際関係法学科ができていたことを知りました。国際社会で活躍する人材を養成する学科ということでしたので、まさにうってつけと志望したのです。その学科で助教授をされていた大芝先生の授業を受講したのが出会いでしたね(笑)。
大芝
それ以来、国連に入られた後も私の研究などでいろいろとお世話になっています(笑)。その後、大学院を経て国連に入られたわけですが、そのあたりの経緯を教えていただけますか?
山下
国連で働くには英語力と専門性が必要と考え、アメリカのフレッチャー法律外交大学院に入学しました。その夏休みに憧れの国連のなかを見てみようとインターンシップを経験し、やはりここしかないと考えて在学中に国連の競争試験を受験した、というしだいです。
大芝
そのようなご家庭に育ったから、国連も身近なものだったのでしょうか? 一般の学生とはちょっと環境が違うように思います。
山下
いえいえ、身近ではありませんでしたよ(笑)。たまたまそういう環境に生まれ育ちましたけれども、話せる言語は日本語とドイツ語で、英語で仕事をするのには不安がありましたし、試験の不安も大きかったですね。大学時代はほかの学生と同じ状況でしたから、何か特別に国連の情報があるわけでもなく、普通の学生と同様の距離感だったと思います。ただ、どうしても国連で働きたいという夢は大きかったのです。おうし座の突進型の性格で(笑)、がむしゃらに進んだという感じでしょうか。
国連が光り輝くエキサイティングな時期
大芝
なるほど。では、国連に入ってどのような仕事に就かれたのでしょうか?
山下
国連に入って22年になりますが、いろいろな仕事をやらせていただきました。入ってまず配属されたのは情報収集調査室でした。国際政治の状況を収集・分析して事務総長の活動を補佐するといった役割ですね。ところが、1992年に事務総長にガリ氏が就任すると、大規模な機構改革が始まり、私が働いていたオフィスがなくなってしまったのです。ある朝突然、「本日をもって情報収集調査室を廃止する」という通達が机の上に置かれているのを見たときは、私はどうなってしまうのかと思いました(笑)。もっとも、情報収集調査室は政治局というくくられ方で発展的に解消され、私もその政治局の選挙支援部に配置されました。そこでは8年間働きましたが、当時はPKO(国連平和維持活動)が活発に行われた時期でした。紛争地域で和平合意ができ、PKOが入って紛争を終結させ、当事者たちが選挙を通じて新しい政府を選び、PKOが撤退するというケースが多くありました。カンボジア、モザンビーク、エルサルバドル、エリトリア、南アフリカなどでは、選挙監視だけでなく選挙委員会への技術援助を行うなど、支援の幅が広がった時期でもあります。私もニューヨークの本部をベースによくそうしたフィールドに行き、支援活動に従事しました。
大芝
PKOなどで国連が光り輝いていた時代ですね。
山下
はい。やりがいがある、すごくエキサイティングな時期でしたね。その後の2001年にアフリカ局に移り、南部アフリカを担当しました。当時は紛争解決後の次の段階にあたるピースビルディング(平和構築)に移行した時期でしたが、それほど出張は多くなく、たまたまその頃出産したので好都合でした。ただ、仕事は憲法改正や市民社会の立て直しの支援など相手国の主権に限りなくかかわることで、国連のプレゼンスがあまり大がかりにならないように各方面と対話をしながら進めなければならないという難しいものでした。
プライベートと仕事のバランスがとれる環境
大芝
いい経験ができましたね。
山下
はい。「平和構築」を現場でいかに実現するのか、国連開発計画(UNDP)など国連の専門機関とともにいろいろ模索した時期でもありました。その後の2007年には政治局東南アジア・太平洋に移り、主に東南アジアでさまざまな問題を抱えている国を担当しました。共産主義のベトナム、当時軍事政権だったミャンマー、絶対君主制のブルネイ、フィジーのように何度もクーデターが起こる国など、本当に課題は多いです。私はまたフィールドに出たいとむずむずし始め(笑)、2010年にネパールでの政治ミッションがあったので志願し、政務室長として派遣されました。子どもを連れて、1年は覚悟しての派遣でしたが、行って3か月たった頃に東京での現在のポストの話が舞い込んできたのです。母国の日本で国連の仕事ができるなんて一生に一度のことだろうし、8歳になる子どもに日本語を覚えさせる必要もあると、日本に行くことに決めました。
大芝
本当に世界中でいろいろな仕事を経験されましたね。山下さんのようにフィールドに出るというのは、結婚して家庭を持つ身には動きにくいように思いますが、国連は配属など考慮してくれるのでしょうか?
山下
UNDPやWFP国連世界食糧計画などの援助機関の職員はフィールドに出ることを条件に採用されますが、事務局の職員は今までは海外に行く、行かないは自分の意思で決められました。私は20代の半ばで国連に入り、35歳で結婚しました。最初の十数年は独身でしたので、世界が大きく変化するなかに身を置きたいと積極的にフィールドに出ましたね。ニューヨークの本部もエキサイティングではありましたが、やはり現場に出たいという気持ちが強かったのです。しかし、結婚、出産して一時期現場から離れようと考え、そうしたのも自分の意思でしたし、プライベートと仕事はうまくバランスがとれたと思います。国連は全体的にそのように各国の職員を流動的に配置していますね。いくつかの大都市には「ファミリー・デューティーステーション」といって、家族連れで赴任できるような規模の大きい機関もあります。また本人はフィールドに出ても家族は安全な地域に置き、数か月に1回は1週間程度まとまった休暇をとって家族と過ごすということもできます。ただ、PKOが展開されるようなフィールドには家族連れで行ける場所はほとんどありませんね。
国連の限界も目の当たりに
大芝
なるほど、それなら安心して働けますね。ところで、山下さんは支援国の政治にかかわる仕事を中心にされていますが、やりがいも大きい半面、ご苦労も多いのではと思います。
山下
大学で国際関係を専攻し国連に入ったのは、国際政治に興味を持ったためですから、入っただけでワクワクできました。しかし、非常に難しく厳しい問題に直面することもしばしばです。たとえば私はミャンマーの民主化支援を担当しましたが、国連総会や安保理、人権委員会など国連のあらゆる枠組みをもって対応した案件であったにもかかわらず、どれだけ同国の民主化プロセスを後押しできたかは未知数です。事務総長の特使を派遣し、かなりの投資をしてきましたが、2007年に僧侶を中心とした数万人規模の反政府デモが行われ、それに対して軍事政権が武力弾圧を加えた瞬間は、まさに国連の限界を目の当たりにした感じがしました。日本人ジャーナリストの長井健司さんを含め多くの死傷者が出ましたが、そのような事態に至ることも少なくありません。現在のシリア情勢が象徴的です。しかし、なおさら国連の意義を高めていく余地があるととらえ、対応していくのが私たち職員の使命であると考えています。
大芝
山下さんは、そのように世界で活躍し約20年ぶりに日本に帰国されたわけですが、今の日本は「元気がない」とか「内向き」であるといわれていますね。私としては、日本人には能力もあるし、元気をなくす必要などまったくないと考えているのですが、久しぶりに日本に帰ってこられてそのようにいわれている風潮をどのように感じていますか?
山下
2年前に日本に帰ってきて、何やら意気消沈している様子に本当にびっくりしました。なぜなら、20年間国連で仕事をし、フィールドにも出ていくなかで、国際社会においては日本への期待感がとても高いことを感じ続けていたからです。日本は残念ながら現在安全保障理事会理事国には加わっていませんが、フィールドでは「P5+Japan」と、安保理常任理事国同様に日本が重要視されていることが伝わってくるのです。戦後の復興から高度経済成長を果たし、世界トップクラスの経済大国になった日本のブランドイメージは、世界ではかなり力強いものがあります。日本人というとどこでも歓迎されますよ。確かに、たとえば国連への分担金比率では以前の19%から12%に落ちましたけれども、それでも2位には変わりありません。3位はドイツで、中国は8位です。国連にとっても日本の地位は重いのです。事務総長はほぼ毎年来日していますけれども、それは日本が重要な国だからですね。
国際的な活動に興味を持つ若者は相当数
大芝
世界における日本の見られ方と国内とでは、大きなギャップがあるわけですね。
山下
そのギャップに驚きました。そのように内向きにさせているのは、マスコミの論調も大きいと思います。最近の若者は内向き志向だとよく書かれていますが、そんなことはありません。私は講演活動で全国の学生と接する機会が多いので、国際的な活動やグローバルに仕事をすることに興味を持っている若者は相当な数に及ぶと感じています。おそらく、彼らへの支援が十分ではないことが原因の一つではないでしょうか。大学は留学などの支援はしていますが、学生たちが一番心配しているのは就職なのです。つまり、1年でも留学して卒業が遅れると、それだけで就職が不利になると考えているのです。
大芝
そのとおりですね。何か実例はありましたか?
山下
オックスフォード大学に留学した日本人学生の話なのですが、彼は日本企業への就職を希望して企業と学生をマッチングする国際的な就職フェアに臨んだそうです。すると、日本の企業は面接までは進んだものの、採用内定を出すのは躊躇したらしいのです。一方、ある外資系企業は、面談したその場ですぐに採用内定を出したといいます。彼はその外資系企業に就職し、現在日本の現地法人で働いています。もちろん、就職は相性の問題も大きいので一概には言えませんが、留学という国際経験や十分な能力、国際的なコミュニケーションスキル、さらには企業に貢献したいという意思はあっても、それを活かした就職がしにくい日本企業という現実もあるわけです。にもかかわらず、若者だけが一方的に「内向き」と批判されるのは気の毒です。学生のうちに海外に出て、帰ってきたらそのことがプラスになるという環境を社会がつくらなければいけないのではないでしょうか。
大芝
おっしゃるとおりだと思います。一橋大学には海外に出てみたいという学生が数多くいて、それは心強く思いますけれども、そのような学生のニーズにもっと応えられる環境を整備しなければならないと感じています。大学側では留学しやすい体制を、そして企業側には留学経験をきちんと評価する体制をつくってもらうよう、働きかけていきたいと思います。
「世界でボランティア経験あり」は魅力的
大芝
ところで、冒頭で山下さんは競争試験に合格して国連に入ったというお話がありました。国連に興味があるという学生のために、どういった試験なのかを教えてください。
山下
競争試験とは、エントリーレベルで国連事務局の正規職員になるための唯一の関門です。国連には193の加盟国がありますが、その国籍を有する人であれば誰でも国連職員になる資格があります。加盟国のうち、その国の国籍を持つ職員が1人もいない国や、人数の少ない国もあります。そのような国の人たちを採用の対象とするポストが約2000もあり、分担金比率世界第2位の日本にはそのうち270はあてがわれてもおかしくありません。
ところが実際は65と、約4分の1にとどまっています。そのように人数の少ない国には年に一度の競争試験が優先的に実施されるので、日本人は毎年受験できる機会があります。職務分野は政治や経済だけでなく、医療や物資調達、グラフィックデザインなど多彩です。私は日本人のグラフィックデザイナーが国連で活躍するのも雰囲気が変わっていいのではないかと思っています。
大芝
試験科目はどのようなものですか?
山下
最近は多少変わったのかもしれませんが、私が受験したときは、政治分野の場合は、まず2日間にわたる筆記試験がありました。1日目は国際関係に関する問題が10問程度出題され、短文で解答します。2日目は専門的な問題が3問出題されます。いずれも試験時間は4時間で、出題も解答も英語です。試験内容は日本の大学院で学んだり、市販の書籍で学ぶ知識で十分解答できると思いますよ。ポイントはそれをすべて英語(または仏語)でこなすということです。ペーパーテストの後に、口頭でインタビューを受ける面接試験があります。問題は3通の封筒から一つを選び、10分間だけ準備時間が与えられた後に行われます。それに受かれば合格です。しかし、合格したからといってすぐに働けるわけではありません。空きポストが出て、初めてオファーがくるというシステムになっています。
採用する観点からいえば、高い学歴を持ち、ペーパーテストで素晴らしい解答を書いている人も魅力的ではありますが、そのうえさらに世界各地で実社会で働いた経験やボランティア活動に携わったという経験がある人のほうが実際採用されていますね。もちろん、試験はフェアに行われています。
30代、40代を展望しつつ、20代をどう有効に使うか
大芝
なるほど。知識だけでなく経験も問われるということですね。国連職員は、限られた時間のなかで知識や経験を集大成して目の前の問題に対応することが求められるから、そういったことが多少でも訓練されていると望ましいと。
山下
大学でフィールド研修が行われれば大変プラスになると思いますね。自分1人でそういった機会を開拓するのは難しいですから。世界にはどんな問題があるのかを理解するには、現場に行ってみることがとても大事だと思います。特に途上国には一度行ってみないとわからないでしょう。どういうところにどんな空気が流れ、どういう人々がどんな生活を送っているのか。もっとも、観光客として扱われるような観光地に行くだけでは不足でしょうけれども。
そういう意味で、30代、40代を展望しつつ20代をどう有効に使うかが非常に重要なことだと思います。大学を卒業すれば就職しなければならないという事情はよくわかりますが、グローバル社会では22歳はまだ子どもかもしれません。大学院在学中の24歳で競争試験を受けて国連に入った我が身を振り返っても、少し急ぎすぎたかなと思っています。
大芝
現場を知る必要があるということですね。一方で、現場を見ているだけでは、なかなか解決方法が見出せない。
山下
そのとおりです。安保理にかかわって国際政治動向をフォローすることも面白いですが、それだけでは現場を忘れがちになります。一方で、現場だけ見ていると、直面する問題に対して国連本部の出す答えが物足りなく感じることがあります。しかし、その両方を見ることで、何が実現可能でどのような政策が最適なのかが理解できるのです。バランスを理解できることが大事なのです。
日本人の「思いやり」は優れた資質
大芝
先ほど、日本人は内向きになっているというお話になりましたが、現在の日本社会では国際社会を引っ張っていくべき人材像が曖昧になっているのではないかと思います。国連での経験から、国際社会で活躍するためには、日本人はどのような人物像を目指すのがよいとお考えですか?
山下
まずは、国際政治を学び複雑な国際関係を理解していることが必要です。そうした高度な教育は日本でも十分に受けられます。そのような知識は大前提として、知識だけではなく世界には多様な文化があるということを体感し理解していることが極めて重要です。国連にも多種多様なバックグラウンドを持つ人が当たり前のようにいて、そのような人々と当たり前のように一緒に仕事をして結果を出さなければなりません。まずはそこから始まるのです。自分にとって当たり前なことが、他人にとっては当たり前ではないということをよく理解しておく必要があります。その点、日本人は適性があると思います。日本人には「思いやり」という優れた資質があり、人の立場に立って考えることが得意だからです。これは重要なスキルですよ。そして、日本人は本当によく働きますから、国際社会でも日本人が貢献できる局面はたくさんあるのではないかと思います。
大芝
語学力も不可欠ですね。
山下
国際的に公用語となっている英語力は絶対に必要です。これだけは仕方ありません。英語圏以外の国の人は皆同じハンディを背負っているのですから、それを前提に語学力を身につけていかなければなりません。
さらに、国際政治のリーダーには欧米人がふさわしいという既成概念がありますね。英語漬けだと、思考回路も欧米的になりがちですから、なおさらです。しかし、国連ではまさに国際的であるがゆえにそれでは不十分なのです。現在の国連事務総長はたまたま韓国出身の潘基文(パン・ギムン)ですが、彼が事務総長になってからやり方が少し変わりました。就任当時はスピーチが上手ではないとか、カリスマ性が足りないなどという批判もありましたが、それらは皆、西洋的なリーダー像を前提としてのことです。国際政治の世界では、調停役を担う人材は欧米諸国の元大臣や元外交官といった人々が中心です。しかし、逆にいえばそのようなバックグラウンドの人しかいないことが問題なのです。紛争などの問題が起こるのは、主に欧米以外の地域の国々ですね。そのような国々の問題を解決するのは必ずしも欧米人が最もふさわしいとは限りません。シリアなどはまさにそうだと思いますが、アジア人ができること、日本人だからこそできることはもっとたくさんあるのではないでしょうか。日本からも世界で活躍する人材を、もっともっと送り出す必要があると思いますね。
日本人であることに、もっと自信を
大芝
日本人は、自己主張が苦手ですね。自己主張ができないと国際社会では通用しないという思い込みがあると思いますが。
山下
確かに私も学生のときには、国際的な人材になるためには欧米人のように自己主張をして前に出ていく必要があると思っていました。しかし、苦手なものは苦手なのです(笑)。とはいえ、そうした奥ゆかしい日本の民族文化が随所で評価されているのも確かです。大事なことは、無理をして欧米流の文化に合わせることではなく、日本文化というバックグラウンドを持った自分に何ができるのか、と考えることではないでしょうか。欧米流のことは、欧米人に任せておけばいい。日本人は日本人にしかできないことを強みにすべきだと考えます。国際社会から求められているのは、まさにそのことだと思っています。ただし、英語でのコミュニケーション力は必須です。普通の会話レベルではなく、相手を説得できるレベルであり、物事を即座に分析し端的にいくつかのポイントにまとめて簡潔に短時間で伝える、といったレベルです。一番難しいことかもしれませんが(笑)。
大芝
日本語でも一番難しいことですね(笑)。ところで、山下さんには一橋大学の大学院で授業を担当していただいたこともありますが、一橋大学や学生に期待することは何かありますか?
山下
授業を担当する機会をいただいたときに感じたのは、一橋大学の学生は非常に優秀であるということです。話していてとても楽しかったです。英語でのディスカッションのレベルも高く、国際的な水準に達していると思いました。このままの勉強を続けさらに1〜2年現場でボランティアなどの経験を積めば国連が求める人材になりますね。英語力を高めていく意識と努力は常に必要です。
若い人全般にいえることですが、日本人であることにもっと自信を持つことが大事だと思います。東日本大震災後の日本は、エネルギー問題に直面しています。環境問題や地球の未来といったことについては、若い人のほうがより強い問題意識を持っているのではないでしょうか。そうした課題解決に、日本発の技術などで貢献できることはたくさんあるはずです。日本人が手がけることは世界的にも納得して受け止められることが多いですし、まさに世界から求められているのですから。
大芝
世界中に共有してもらいたい日本人の価値観というものが結構あるということですね。バブル経済の絶頂期に日本人は傲慢になった一面もありました。ところが、今は傲慢どころか自信を失っている状態です。しかし、日本にはもっと自信を持てるだけのものはあるし、ポテンシャルも潤沢に備わっているということですね。それをどう導き出すかが大学教育の大きな課題であることも再認識できました。本日は、どうもありがとうございました。