学生file.02

Think Internationally, Act Globally, for a Locality

法学部4年 中尾実貴さん

 

第一の留学 「文化交流」

一橋大学を選んだ理由の一つが、充実した留学制度でした。父の仕事の関係で2歳から4歳までアメリカで、6歳から8歳までをオーストラリアで過ごしました。初めて通った小学校がオーストラリアの現地校という思い出はありますが、英語の習得や異文化を意識するにはまだ幼い年齢だったと思います。でも、帰国子女というレッテルのため「英語ができて当たり前」という周囲の目に悔しい思いをし、それが英語を学ぶバネになり、海外へ出てみたいという気持ちの原点になったのかもしれません。

法学部4年 中尾実貴さん

1年生の春休み、オーストラリアのモナシュ大学への短期海外研修は、初めての留学であり、里帰り的な気持ちもありました。文化交流をメインとした留学で、中国系オーストラリア人の家庭にホームステイし、さまざまな交流プログラムに参加しました。一橋大学をはじめ、名古屋や大阪の大学の学生と知り合い、「国際交流に関心を持つ人がこんなにいるんだ」と知ったことは大きな収穫。そのときの仲間との交流は今でも続いています。

第二の留学 「名門大学での力試し」

2年生の夏休み、スタンフォード大学での短期語学研修は、「力試し」を意識したものでした。正直に言えば「あのスタンフォード大学!」という気持ちもありましたが(笑)。この海外語学研修は、アジア人向けのプログラムで、中国・韓国・台湾のトップ校の学生が多く参加していました。アジアのトップ校の学生はすごく勉強しているという話は耳にしていましたが、実際、想像以上。英語力のランクによるクラス分けでは韓国人はほぼ全員が一番上のクラス、日本人では私1人だけでした。彼らは英語をツールとして使いこなし、文法や発音にミスがあったとしても臆せずに発言し、自分の意見をアグレッシブに展開します。闘うことへのアグレッシブさが、日本人には足りないと強く思いました。

日本人は得をしていると、意識したのもこのときでした。日本人というだけで友好的に接してもらえます。日本文化に興味を持っている人も多いので、積極的にいろいろなことを尋ねてくれます。でも、壁を乗り越えようと努力しているほかのアジア人留学生のほうが、自分に対してハングリーで乗り越える強さを感じました。日本人は日本人であるメリットをうまく使いこなせていないと思いました。

もう一つ印象的だったのは、日本の開発援助を本気で感謝してくれている人々がいるということです。あるアフリカ出身の学生は「日本人は素敵だった、アフリカに素晴らしいことをしてくれた」と、目を輝かせて教えてくれました。日本が持つ、成熟しかつユニークな文化をもっともっと発信していくべきですし、海外で頑張っている日本人がたくさんいることを私たち日本人自身がもっと知るべき。それが自信につながると思います。

左:チャイニーズレストランでお箸の使い方を教えてあげました(中国語のクラスです)/ 中央:ハロウィンパーティにて / 右:POD(キャンパスエリアにある日本食レストラン)

左:チャイニーズレストランでお箸の使い方を教えてあげました(中国語のクラスです)/
中央:ハロウィンパーティにて / 右:POD(キャンパスエリアにある日本食レストラン)

 

第三の留学 「中国を理解する」

モナシュ大学では中国系の家庭にホームステイしましたし、スタンフォード大学では中国人の友人もできました。また一橋大学では中国人留学生のチューターをつとめ、彼女の将来の進路やキャリアに対する考え方にとても共感しました。以前から中国人に親しみを持っていたわけですし、彼らのほうもそうだったと思います。個人対個人では友好関係を築けるのに、国対国になると大きな摩擦が生じています。悲しいことですし、なぜなのだろうと思ったことが、3年生の夏休みに国際経済学者養成制度を使って中国での研修に参加した理由です。でも、短い期間では深く学ぶことはできません。そこで国際関係学に造詣の深いアメリカで学ぼうと、如水会の留学制度を利用して、3年生の3学期にペンシルヴァニア大学へ留学しました。私は一橋大学で国際関係を真剣に勉強した、スタンフォード大学の語学クラスで通用した実績がある、プレゼンテーションも得意なほう。アメリカの名門校で高度な国際関係論をしっかり学ぶんだ……と、元気と希望に満ちての旅立ちでした。

第四の留学 「国際関係の核心に迫りたい」

しかし、ペンシルヴァニア大学での留学は、今まで味わったことのない辛い日々から始まりました。まず思い知らされたのは、自分が学んだ学問が日本をベースとしたものであったこと。考えてみれば当然ですが、アメリカの国際関係論はアメリカがベース、一から学び直す必要があったのです。さらに、アイビーリーグの厳しい競争社会のなかでは留学生に対しても手加減は一切しません。語学も含めできて当たり前。「あなたができないのは、あなたの責任。できないならいる必要はない」。それまで、私はやればできる、頑張れば結果が出せると思っていました。やってもできない自分に打ちのめされ、大学通りを「I’m nothing」と泣きながら歩いたこともありました。

夏休みになると学生は寮から出ることになります。私はワシントンの日本大使館でインターンをすることになりました。そこで出会ったのは、アイビーリーグの文化とは異なるアメリカ文化であり、競争社会に参加していないアメリカ人の生き方でした。外交官と現地の一般の人々との仲介役という立場だった私に、彼らはフランクに、中尾実貴個人として接してくれました。そこで吹っ切れたんですね。

そうか、私は私でいいんだ。できないこともあるんだし、失敗したって自分が思うほど誰も見ていない。とりあえず、やってみればいいんだ、と。

ペンシルベニア美術館でパーティ

ペンシルベニア美術館でパーティ

 

この気づきは、とても大きな経験でした。そして、この経験がもう一度自分を虚心に問い直す契機になったと思います。それまで私のなかには、環境が人を変えるという思いと期待が潜んでいました。でも、環境の変化は人が変わる助けにはなっても、自分が変わろうとしなければ結局何ごとも変わらないのです。自分を変えるのは自分自身、自分が変わらなければいけない。留学したからこそ、このことが実感できたと思います。

留学がもう一つ教えてくれたのは、Globalのとらえ方です。私は今、「Think internationally, Act globally, for a Locality」を自分の立ち位置であり、ポリシーと考えています。日本人であることはどんな場面でもついてまわりますし、そのことに誇りを持ちたいと思います。同時に、異文化の個々の性格をもきちんと意識し、尊重したうえで、初めてモノや情報が自在に行き来するグローバリズムの利便性を享受して行動し、自分が育った国に貢献をしていきたいと思っています。

卒業後は、海外へ出ていく人が自信を持って羽ばたけるようサポートする仕事に就きたいという気持ちがあります。同時に、アカデミズム寄りで歩んできたので、これまでにあまり持ち得ていないビジネスマインドを鍛えたいという思いもあります。具体的な進路はまだ決めていませんが、アカデミズムとビジネスマインドを好バランスで備え、世界で通用できる人間になり、そのことを通じて日本(の国益)に貢献できる人間を目指したいと思います。(談)

出典:一橋大学広報誌「HQ vol.38 春号」(April 2013)